自由民主主義体制は生き残れるか

著者の山崎望先生より、次のご論文をご恵贈頂きました。誠にありがとうございます。

従来の自由民主主義体制を支えてきた正統性の「移行の諸相とそれに伴う暴力の再配置」(15)について、国内政治/国際政治を貫く視座から論じる内容で、現代の政治的変化に関する極めて包括的な見取り図を与えてくれるものと受け止めました。

特に、自由民主主義と主権国家/国民国家システムそれぞれに関する「移行」――異なる「正統性の間でせめぎ合いが起きている」(14)状態としてのそれ――にとどまらず、そこから、新自由主義とコスモポリタニズム、ポピュリズムとレイシズム、例外状態における統治と「帝国」、といった異なる新たな言説の節合を指摘し、これらへの重層的な移行(の始まり)として自由民主主義体制の「危機」を描き出すところは特徴的で、興味深く拝読しました。

また、正統性の移行のみならず、暴力の(再)配置(制度化、埋め込み、封じ込めと、それらの無効化)についても整理をなさっているところが重要であると感じます。私自身が全く不勉強な点であるということもあり、多くを学ばせて頂きました。

昨年度と今年度は「政治体制論」という科目を担当していたこともあり、権威主義体制などに関する比較政治学の知見を勉強することが結構あったのですが、この論文に学ぶことができていれば非常に有難かったなと思う次第です。規範的政治理論におけるデモクラシー論、グローバル・デモクラシー論と、比較政治学・国際政治学の知見を結び付けていく重要性を再認識する機会ともなりましたので、隣接分野の研究動向に鈍感とならないよう心がけたいと思います。

新自由主義ガバナンスと地方創生

著者の宮川裕二さんより、次のご論文が掲載された唯物論研究協会 (編) 『唯物論研究年誌』23号(大月書店)をご恵贈頂きました。誠にありがとうございます。

  • 宮川裕二 [2018] 「「新自由主義ガバナンス」論による「地方創生」実施スキーム分析」『唯物論研究年誌』23: 193-214

唯物論研究年誌第23号 : 21世紀のマルクス――生誕200年

宮川さんは一貫して、ミシェル・フーコーに由来する統治性研究の視座から、現代日本の各種政策を分析する研究に取り組まれています。統治性やガバナンスに関連した研究動向にお詳しく、「政治と理論研究会」でもご報告頂くなど、以前から色々教えて頂いております。

この論文では、ウェンディ・ブラウンらに依拠しながら、国による「地方創生」の取組みが「集権か分権かでは記述しえない特有の権力構造」(194頁)を持っていることを指摘なさっています。すなわち、国が優位に立ちながら自治体の自発性に期待する地方創生スキームは、結局のところ旧来の集権構造を維持しているのではないかとの見方があるところ、介入を通じて主体の行為を特定の方向に導くような「新自由主義ガバナンス」の枠組みで捉えるなら、大きな質的変化が認められるとの分析が示されます。

もはや国は、国レベルの利益を実現するための「代理人」としての自治体に自律的な取り組みを期待しているにとどまり、「国の意向に従うだけの自治体は求めておらず、従ったとしても自治体消滅からの保護を約束しない」(211頁)と言われるように、上意下達のような単純な集権構造(ガバメント)とは捉えられない事態が生じているとされるのです。

現代の中央・地方関係を理論的視座から把握することに役立つ、貴重な業績として拝読しました。目下、博士論文を準備しているとうかがっておりますので、引き続きのご研究を楽しみにしたいと思います。

非国家主体の代表性と企業権力の民主的正統性

昨日(2018年8月10日)、早稲田大学にて研究報告を行いました。タイトルは「国境横断的なガバナンスにおける非国家主体の代表性と企業権力の民主的正統性」です。

報告の前半は、ガバナンスに関与する非国家主体(NGOや企業など)は選挙に基づく代表者ではないが、非選挙的な代表性を持ちうると主張する類の議論を、いくつかのバージョンに分けて整理・検討しました。包括的な整理ではありませんが、最近のデモクラシー理論におけるトレンドの一端を知って頂けると思います。

後半は、企業が国家に似た公共的役割を果たす場合がある点に注目する「政治的CSR」論と、それに伴う企業の民主的正統化の可能性について、経営学・ビジネス倫理学での研究動向を紹介しました。このテーマについては、政治学の方面から関心を持っている人が極めて少ないでしょうし、日本語で扱っている文献もほとんどないかもしれません。

報告資料はAcademia.eduにアップロードしました。ご関心の向きには、是非ご笑覧頂ければ幸いです。