原発事故後の子ども保養支援

ご紹介が遅くなりましたが、以下の新刊をご恵送頂きました。誠にありがとうございます。

原発事故後の子ども保養支援

リンク先の出版社ページで「はじめに」を読むことができます。また、こちらで刊行記念インタビューが公開されています。

「はじめに」で述べられているところによれば、本書のテーマである「保養」とは、福島第一原発事故後に「福島県の中通り・浜通り地方の子どもや保護者」を中心的な参加者として、「保養キャンプ、リフレッシュ・キャンプ、自然体験活動などさまざまな名称を用いながら」展開されてきた活動を指しています(11頁)。私自身、まるでフォローしていなかった活動であり、新鮮な気持ちで学ばせて頂きました。

本書によると、「保養」の目的には、①「環境下に拡散した放射性物質そのものから離れること」、②原発事故後の屋外活動制限や自然環境の汚染によって失われた、屋外での遊びや自然体験などを「補う」こと、③「事故を起因とする不安やさまざまな分断などのストレスから離れるためのリフレッシュ」の三種があり、どの目的を重視するかは参加者・支援者によって異なるということで(29-31頁)、かなり多様性のある活動であると理解しました。

「子ども保養支援」という字面だけ見ると、やや特殊な狭いテーマに関する本かなという印象を抱く人もいると思うのですが、むしろ本書はかなり拡がりのある内容を含んでいます。著者はボランティア・スタッフとして「保養」に携わられてきた方だということで、ご自身の活動のなかで直面した課題や味わった思いなどが本書の基礎にあります。ただそれだけでなく、保養を中心に置いたときに見えてくる原発事故後の日本社会に横たわる種々の問題についての、(おそらく豊富な取材に裏打ちされた)目配りのよい考察へと議論が展開されていくところが特徴的だと感じました。

それは個別的には、国の制度、社会の分断、「風評被害」、差別などといったことなのですが、全体として、原発事故後から現在までの日本社会がどういう姿かたちをしていたのか――それは「保養」に参加した子どもたちが育っていく際の環境でもあったと言えるでしょう――を改めて振り返ることができる一冊となっているように思います。その意味で、必ずしも「保養」そのものには関心が強くない人にも推薦したいです。

非国家主体の代表性と企業権力の民主的正統性

昨日(2018年8月10日)、早稲田大学にて研究報告を行いました。タイトルは「国境横断的なガバナンスにおける非国家主体の代表性と企業権力の民主的正統性」です。

報告の前半は、ガバナンスに関与する非国家主体(NGOや企業など)は選挙に基づく代表者ではないが、非選挙的な代表性を持ちうると主張する類の議論を、いくつかのバージョンに分けて整理・検討しました。包括的な整理ではありませんが、最近のデモクラシー理論におけるトレンドの一端を知って頂けると思います。

後半は、企業が国家に似た公共的役割を果たす場合がある点に注目する「政治的CSR」論と、それに伴う企業の民主的正統化の可能性について、経営学・ビジネス倫理学での研究動向を紹介しました。このテーマについては、政治学の方面から関心を持っている人が極めて少ないでしょうし、日本語で扱っている文献もほとんどないかもしれません。

報告資料はAcademia.eduにアップロードしました。ご関心の向きには、是非ご笑覧頂ければ幸いです。